誰かが求めてこそのデザイン

「誰」がそのデザインを求めているのでしょう。斬新なアイディア、奇抜な発想。誰も思い浮かばなかったのに、リリースしてみると人がそのデザインに共感し、便利だ、斬新だといってくれる。そのような状況はどうして生まれるのでしょうか。誰もが「あったらいいな」と思っているのに、実現したり具体化出来ないもの。それを様々な形で具現化するのがメーカーであったりするのですが、誰もが「あったらいいな」と思っているのであれば、早く作ればヒット商品になるのに、なかなかそのようなモノは次々と生まれないものです。それはナゼなのでしょうか。それは、人のニーズには「明らかに意識しているもの」と、「潜在的なもの」があるからです。明らかに誰からも見て「必要だ」とされるものは、すぐに市場に出回ります。世の中が動くスピードはとても速く、ビジネスにはますますスピードが必要になってきています。ですが、実際手にとって見てはじめて「これは良い」と感じるものはなかなか見出すことが難しいのです。
誰かが「求める」ということは、そのニーズが顕著であれば捉えるのは簡単なのです。それが表面化しているのであれば、トレースすればいいのです。ですが、全てのニーズが表面に浮き出ているわけではないのです。むしろ、秘められている方が多いでしょう。そのような中、「今までに無かったのに求められる」という条件がデザインには必要です。新しいモノとは得てしてそうです。中には無茶な発想に思えても、リリースしてみると支持されるということも多いのです。
これがデザインの難しいところです。モノのスタイルの進化にもスピードがあるように思います。ある時点で型を破る新しいプロダクトが生まれ、当面それがブラッシュアップされます。その進化が息詰まるとまた革新が起きる、という具合です。「革新」が起きるタイミングが重要なのではないでしょうか。まだまだブラッシュアップの途中であるのに、いきなり段階を踏み外したデザインは支持されないのではないでしょうか。そのモノが、誕生してから今現在までどのような歩みだったのか、どのように進化してきたのか、そしてその時々の時代はどうだったのか、それを考える必要がありそうです。
誰もそのモノの「次」を期待していません。ですが、目に触れて「納得」と共にその新しいデザインを受け入れるのです。それは誰もが予想していなかったけれども「自然な」進化だったからです。「あるべき次の姿」というのは、これまでのデザインの変遷の中に隠されているのかもしれません。押し付けてはいけないのがデザインです。誰も求めないデザインは、遊び以下です。シビアですが、そのモノ毎に「あるべき次の姿」があるのではないでしょうか。誰も教えてくれませんし、明確になっているわけではありませんが、人々が納得と同時に受け入れる、そのようなアイテムは進化の流れに沿っているのです。革新的に思えるアイテムも、大局で見れば進化のひとつの過程なのかもしれません。時代は連続しているものです。世相や人の暮らしの中から、「次」を考える。それがデザインの本質です。誰かが「欲しかった」ではなく、自然と受け入れるようなデザインこそ、大切です。

 
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