現代美術の理解とは

現代美術というジャンルがあります。デザイナーであれば、もちろん学んだかもしれません。もしくはこれからデザイナーを志す方はこれから学ぶのかもしれません。「デザイナー」と「アーティスト」は本質的に似ていてはいるものの、全く別の存在といってもいいでしょう。デザイナーは鑑賞するためのモノを創るわけではありません。実際に使うものを創るのです。そしてアーティストは人が鑑賞するものを創ります。「使う」わけではありませんから、自由にクリエイトすることが出来ます。鑑賞と、使うということは全く別なのです。「使う」ということは自分のそばにおいたり身につけたり、また必要な時に取り出したりするのです。創るものの本質が違うといってもいいでしょう。アーティストは自由ですが、デザイナーは自由ではありません。現代美術とは、単なる時代の区切りでしかありません。クリエイトされた時代の違いです。美術家を取り巻く環境も常に変化しているのです。その中で美術界も幾度も革新が起こり、現代に至るのです。エンドユーザーにとっては何でもないように感じられることでも、時には「革新」と捉えられることがあります。その道を歩む人でなければ到底わからないようなことが、大きな意味を持つことがあるのが美術界です。
一方、「デザイン」も同様に時代と共に変遷してきました。自動車ひとつとってみても、現代の自動車と「クラックカー」といわれるものとでは同じ車とは思えないほど違って見えるものです。「デザイン」はそのモノの機能や機構に左右されるものです。美術とは違って、そのような「制約」があるからこそ、デザインから当時の技術がうかがい知れるものです。プロダクトデザインを例に挙げて考えれば、「デザイン」はその時代の技術「そのもの」といえるのです。現在でもクラシックカーを好む愛好家はいます。ガソリン車を好む人も多くいます。それでも、自動車産業では「燃費」が重要視され、電気自動車のような革新的な技術も発達してきたのです。それはやはり時代が求めたからであり、そのような「世相」になったからです。デザインの変遷は、「世の中の変遷」を表したものでもあります。
デザインも美術となんら変わらないのです。創る意図が「観賞」ではなく「利用」となっているだけで、美術と同じように深みがあり、興味深いものなのです。アーティスティックな創作とプロダクトのデザインには「目的」の差こそあれ、世の中を反映する点や時代と共に移り変わる点、そして技巧や技術の象徴であるという点も変わりません。現代美術がどうして今のカタチになっているのかを学ぶことと、様々なモノのデザインの変遷を学ぶことは同様の深みを持ちます。そして、美術であれデザインであれ世の中から影響を受け、さらに世の中に対して「影響する」ものです。どちらが勝るということもありませんし、アーティストとデザイナーが同じクリエイターであることは確かです。相互作用を起こしながら、今後も発展し続けることは間違いありません。現代美術のアーティストがプロダクトデザインを学ぶこともあれば、その逆も当然のようにあり得ます。「現代美術だから」と切り分けて考えても差し支えないですが、それではあまりにも寂しいような気もします。

 
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